1 第1部 広汎性発達障害児(PDD児)の療育
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a PDD理解、配慮、対応-甘やかしになってはいけないということ-

あるグループ療育の場でこんなことがありました。

年齢は皆5歳、発達は、知的な遅れはない程度には発達してきている子どもたちです。この子ども達にフルーツバスケットをさせました。2回目ですから、1回目よりは、ルールの理解も進んでいます。座布団を引いて座る場所を決めたのですが、ついうっかりしていて、全員分の座布団を並べてしまい、鬼をやる子がいなくなってしまいました。
困ったなと思い、自分の席に座っている子を一人、真ん中に連れ出し、鬼をしてもらうことにしました。
呼ばれて素直に出てきた子ですが、出てきて「りんごとバナナ」と言うように要求され、その通りに言って、さあ、戻ろうと思ったら、自分の席の座布団が片づけられてしまって混乱してしまい、騒ぎ出してしまいました。

TEACCHで強調されている「構造化」という観点から言えば、とてもわかりにくい構造でゲームを始めてしまったから混乱させたのは療育者の責任で、こんなことはしてはならないこと、自閉症児の状況理解の悪さに対しての配慮がなっていない、ひどい療育ということになろうかと思います。子どもの理解しにくさへの配慮を優先させるならば、混乱の原因を取り除くために元の場所に座布団を敷いてその子どもを戻し、別の子どもで、もっと力のある子にしてもらってゲームを進めるとか、回を改めて、そんな行き当たりばったりではない形でゲームをやり直すといった方法が考えられます。

しかし、そんなことはせずに、その子どもを後ろから抱きかかえて、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と声をかけながら、そのままゲームを進行させるうちに、だんだん、騒ぎは静かになり、オニが5回も変わる頃には、手を離して、外から声をかけながら見守るというほどになり、皆でたくさん誉めてあげることが出来ました。

繰り返しになりますが、構造化は状況に対する安心感、つまり、物との関係での安定を目指していると思います。自閉症の子ども達にとって大切なのは、物との関係で混乱しても、人との関係で安心できるようになることです。
このような一見乱暴とも思えるハードルは、混乱の後にその子どもが落ち着けるだけの力を持っているのかいないのかを見極めた上でしていることですから、実は乱暴ではないのですが、ハードルの高さは、思ったよりもかなり高くても大丈夫だという感触があります。つまり、配慮がどの程度必要なのかは、その子の能力に応じてすることになっているのですが、自閉症のことを全然知らない人が当たり前にさせるのと、あまり変わらない程度の高いハードルを設定しても、彼らは頑張ることが出来て、身につけていけるようなのです。
こんなことを考えるようになったのは、子ども達は、いつも配慮されていることで、「ぎゃー」と叫べば思い通りになるということを学んでしまっている場合が、少なくないなあと感じる場面にしばしば出会ったからです。「ぎゃー」と騒ぐことで、「感覚過敏があるから苦手なんです」と横ですぐに親が言い訳し、しなくても良いように「配慮」する事を要求する。これによって、子どもは、「ぎゃー」と叫ぶことの有効性を学習します。
対人関係の障害はマイペースさを貫き通すこだわり行動として力を発揮しています。「パニック」と呼ばれるこの行動を温存するような構造化は、彼らのこだわりをより強固なものにしていきます。自立した社会人として生きていってほしいという思いで自閉症児に関わっている立場からは、感覚過敏とか、状況理解の苦手さによる混乱等に対して、あえて、配慮せずに、高めのハードルを乗り越えさせるということが、有効ではないかと、思います。そういう目で見ると、「配慮という名の甘やかし」によってダメにさせられている自閉症児が大変多いことに気付きます。

「ぼくとクマと自閉症の仲間たち」(花風社)を著している、トーマス・A・マッキーンさんは、こんなことを書いています。
「母が正しい診断名を知らなかったおかげで、いくらかは良いことがあった気がする。
ぼくは子どものころずっと、お仕置きをされて、『正常』のまねをすることを強いられた。
僕は当時も正常ではなかったし、今も正常ではない。
でも、どうしても必要に迫られたときには、うまくごまかせると思っている。
これが出来るのは、母に強いられて覚えたおかげだ。」


すべてわかったうえで、わざと「乱暴」な対応を毅然とした態度で行うことは、自閉症児達のためになると思います。


偏食への対応
PDD児の偏食は、感覚過敏からの説明がなされ、「あまり無理せず」、というアプローチが一般的です。あまりにも苦痛だとしたらかわいそうじゃないかということですが、問題は、本当に感覚過敏が激しくて食べられないのか、勝手に作ったルールであるこだわりの一つとして食べないのかが、わからないところにあります。離乳食の時から食に手こずったケースはとても少ないはずです。大半は、「お菓子を食べるようになってから」「お母さんが入院して野菜嫌いのおじいちゃんの家に預けられてから」のようにきっかけがあります。大変怪しいきっかけです。でも、すべてのケースに対して、多かれ少なかれ、「感覚過敏が影響しているのだから、大目に見てあげましょう」という(表面的には)優しい対応が結構流行っているようです。しかし毅然とした態度で接することにより、結果として、食べられるようになり、毎回、家族からほめてもらえるようになる。すると、落ち着きまで出てくることもあります。偏食といっても、身勝手なルールに基づくこだわりに基づくものは絶対に許してはだめです。