1 第1部 広汎性発達障害児(PDD児)の療育
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a 広汎性発達障害(PDD)の診断について

広汎性発達障害(PDD)には
 対人関係の障害 
 コミュニケーションの障害
 こだわり、あるいは想像力の障害

という3つ組と言われる3つの基本症状が3歳以前から見られることによって診断されます。


  対人関係の障害
生後半年も過ぎると出てくるはずの人見知りがない、視線が合わない、ハイハイが出来るようになっても後追いがない、呼んでも振り向かない、歩くようになると出かければ、フラフラと自分の興味のおもむくままにどこかへ行ってしまってすぐに迷子になる、しかも、迷子の自覚がなく平気でいる、といった親への愛着発達がなかなか発達しない乳幼児期が特徴的です。他人と興味が共有しにくく一人遊びが多い、一緒に遊べるようになっても自分流に遊ぶためにトラブルが多いといった特徴が見られます。

 コミュニケーションの障害
言葉が遅れるのが一般的です。話し始めても、初語がコマーシャルのフレーズだったり、「トヨタ」だったり、2年生のお姉ちゃんに聞かせていた、かけ算の九九の一部だったりします。要求は伝えるのですが、質問にはおうむ返しが多く、会話になりにくく、会話になっても、続きにくかったり、誤解が多かったり、通じているようで通じていなかったりします。特に、悪いことをしてお説教を食らった最後の「わかったの?」「うん、わかった」は、まず、通じていないです。「わかったの?」という言葉に反応して「うん、わかった」と答えるだけで、説教の内容とは関係ありません。

 こだわり
道順へのこだわり、マーク、道路標識などに特有の興味を示すといった症状のことです。スーパーへ買い物に行くときに、いつもは右に曲がっていくところを、左に曲がったところにあるクリーニング屋さんに寄ろうと左折したとたん、後部座席で大騒ぎを始めるとか、ミニカーをたくさん集め、それを一列に並べて眺める、ミニカーを走らせながら床に顔をピターっと付けて、タイヤを見ているという「床車」といわれる行動も特徴的です。電気のコンセントには、「National」などのメーカー名が書いてあるのですが通常、それには気づきませんけれども、このタイプの子ども達は、どこにいてもめざとくそれを見つけては読みます。

診断が3歳以降に行われる大半の事例では、3歳以前のこれらの症状については親の記憶にほぼ全面的に頼ったものになりますから、実際には、何歳であっても、PDD児が見せる症状がこの3つ組に沿って解釈できることが大切になります。
PDD児は、発達することによってどんどん典型的なPDDらしい特徴をなくしていきますが、世界を理解する際、人と付き合う際に持つ弱点は、発達していく(軽くなっていく)ことでなくなっていくわけではありませんので、周りが配慮したり、弱点を補う方法を学習させたりする時期、つまり、発達期である子どものうちは、広く診断をつけて、援助していくのが、その子どもにとって利益を生む、→ 自立した社会人像に近づけるために有効と考えています。PDDの診断は、診察する医師によってかなりの幅がありますが、実用的な考え方として、相談場面で来談者の方々には以下のように診断概念を説明しています。

広汎性発達障害(PDD)には、
.自閉症
.アスペルガー症候群
.特定不能の広汎性発達障害

という、3つの診断が含まれます。①②③の3つ組み全部が当てはまる場合は「自閉症」と診断され、は満たすけれども、のコミュニケーションの障害が軽微な場合には「アスペルガー症候群」と診断されます。さらに、①②③の満たし方が不十分だけれども、その特徴が強い場合に「特定不能の広汎性発達障害」という診断になります。

この順にだんだん軽くなると言っても良いかと思いますが、3つ目の「特定不能の広汎性発達障害」は、たとえば、「うちの子の診断は、特定不能の広汎性発達障害です」と学校で先生に言っても、訳がわからなくなる可能性が高いので、厳密に診断概念として用いなくても良い場合は、それは使わず、重い方から自閉症、軽くなると高機能自閉症、もっと軽くなるとアスペルガー症候群、更にもっと軽くなって特別な配慮が不要になった状態を定型発達(普通の子)と一応の区別をします。
が、これらの間には、明確な区別はなく、連続体(スペクトラム)という状態です。山の絵を描き、山頂付近を自閉症、だんだん下がってきて、アスペルガー症候群、もっと下がると特定不能の広汎性発達障害、さらに下がって平地に来ると定型発達と考えると、どこからが平地で、どこから山が始まっているのかわかりません。これが連続体という意味です。定型発達と言っても良いくらいだけども、いろいろと援助してあげた方が良い状態で、しかも、幼児期に3つ組にあてはまるようなサインがあれば、PDDと診断してあげて、周りで援助してあげた方が、より、PDDから遠い定型発達の域に達することが出来ます。そして、その方向に出来るだけたくさん発達していってくれるように援助するのが療育である、ということになります。



 “障害”という言葉
さて、広汎性発達障害(PDD)という言葉ですが、最後に「障害」と書いてあります。診断名には「障害」という言葉がついていますが、これは英語の「disorder」という言葉の訳ですから正確には「混乱」です。つまり、人とのつきあい方の苦手さとか、コミュニケーションの苦手さ、こだわりなどといった個性があるだけならこの診断はつけなくてもよく、困っている場合、周りから何らかの配慮が必要な場合にこの診断はつくのです。つまり、交通整理がうまくなされれば、混乱はなくなる → 診断は外れるわけです。こだわりが強いとか、人の気持ちの察し方がうまくなくてマイペースであるとかいう性格があっても、混乱を起こしてなければよいわけです。世の中にそんな人はたくさんいます。

 乳幼児期の多くのPDD児がもっている知的障害について
PDD児は前記したように3つ組みを持って育ってくるわけですが、このうち、中核的な症状は対人関係の障害だと思っています。

前述したように乳幼児期の親への愛着発達の未熟さが特徴的です。名前を呼んでも振り向かない、返事をしないことにより、難聴を疑われて耳鼻科を紹介されることも、しばしばあることです。親への愛着感情が普通に発達していれば、呼ばれたら振り向く、返事をするなど、わざわざ教えてもらわなくても、当たり前にする行動なのですが、PDD児にはそれが教えてもらわないとわかりません。
つまり、PDD児は定型発達の乳幼児であれば一心に耳を傾ける親からの語りかけが、生活環境の中にある他の音と、等価値にしか聞こえないのです。その結果、言い回しにしろ、声の調子にしろ毎回異なる、理解しにくい肉声は無視されるようです。

そして、同じイントネーション、同じフレーズで何度も繰り返されるコマーシャルやビデオのフレーズの方が覚えやすいわけです。乳幼児期の子どもの言葉の発達をもたらす原料は、言うまでもなく、親子の愛着関係と親からの語りかけです。親からの語りかけを一心に聴き、まねると、親はまた、子どもの発声をまねて喜びます。PDD児はこの経験に欠けています。

語りかけに反応しない子どもに対して、親からの語りかけが減ってしまうのは、仕方のないことで、悪循環が生まれます。極端な場合、テレビに守りをさせることになるわけです。
このことにより、PDD児は定型発達の場合に当たり前に覚えていく語彙を覚えていきません。親子の営みに用いられる言葉を覚えていかないということは、コミュニケーション発達の原料を仕入れ損ねるということです。発語が伸びない、同時に、聞く言葉の理解も増えない。勝手なマイペースな遊びだけをして日々を過ごすことで乳幼児期が過ぎて就学してしまえば、「発達の仕損ね」が固定化して、結果としての知的障害になってしまうと考えています。理想的な療育、家庭生活が実現できれば、PDD児の98%は知的な遅れを伴わない発達を達成できるのではないかと考えています。

従って、出来るだけ早く対人関係を発達させることと、コミュニケーションを学ぶお手伝いをすることが、乳幼児期のPDD児の発達支援に求められることであり、それがうまく展開すれば、飛躍的な発達に結びつくと考えています。当相談室では「幼児期の自閉症児の第1の課題は知的障害を克服すること」と設定しています。